フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

良いお年を😊

皆さん、こんにちは!!

 

日本ではあと1時間程で2021年ですね😊

先程ニュースを見て、日本の1日のコロナ感染者が4500人を超えたという事で2020年最後の日で嫌なニュースとなってしまいましたね。

コメントやSNSを見ていても政府の対応への怒りで溢れかえってます。

未曾有の危機に直面して各国政府どの様に対応すればいいのか手探り状態の所もあると思いますが、しっかりと国民へ向けて「言葉」を発して貰いたいですね😊

 

個人的にはフランスに住み始めて1年4カ月が経ち、フランス語力も1年前とは比べ物にならないほどになったと思います。

日本では外国語を使う環境になかった私にとって語学は現地でやるものだと改めて思いました。

フランスでロックダウンを2度経験し、フランスやドイツその他欧州各国政府の対応を見ることも出来ました。

振り返ってみてもこれは本当にいい学びだったと思います。

 

来年はある意味勝負の年‼️

色々な制限はまだまだ続くかと思いますが、そんな中でもフランス語力の向上はもちろんの事、将来に向けて飛躍発展出来る年にしたいと思います😊

 

「コロナ」で1年間終わってしまったような年でしたが、来年は今年よりいい年である事を祈りたいですね😊🤞

 

皆さん、この一年大変お世話になりました!!

来年もどうぞ宜しくお願いします😊

 

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私のお気に入りの写真↑です😊

凱旋門からエッフェル塔を望む」

ストラスブールにあるゲーテの住んでいた部屋!!

皆さん、こんにちは!

 

2020年も後2日で終わってしまいますね😭

フランスでは先週のヴェラン保健相の発言で「再びconfinement(ロックダウン)になるのではないか?」それとも「外出可能な時間が短縮されるのだろうか?」と囁かれてきました。

でもお隣ドイツの死者数が増えてきている状況と、従来のコロナより感染力の強い新種のコロナ感染者もヨーロッパ各国で見つかったりしているので仕方ないのかもしれません。

ワクチン投与という希望が少しはあるもののまだまだどうなるか分からないですね。

 

先ほど私が読んだ記事↓です。

 Couvre-feu renforcé : l’exécutif ouvre la voie à une gestion différenciée de l’épidémie (lemonde.fr)

 

来月から大学は予定通り再開されるのか?

これが1番気になるところです。

 

さて本日は、皆さんご存知の世界的に有名なゲーテ(1749年~1832年)とストラスブールの関係について軽く投稿したいと思います😊

 

言わずと知れたドイツを代表する作家、政治家、学者です(←活躍した分野が多岐にわたる方なのでもっとあるかと思いますが。。。)!

彼の有名な著作には『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などがあります。

私も大学時代背伸びをしてこれらの著作を読みましたが、ファウスト以外は正直頭に残っていません泣

 

でも何故、フランスなのに突然ドイツ人のゲーテ

 

と思われるかと思いますが、実はゲーテストラスブールは大変深い関係があるのです‼️

 

結論から言ってしまうと、

ゲーテストラスブール大学の卒業生なのです!

ストラスブール大学は1538年にその起源がある歴史ある大学ですが、ストラスブールを含めたこの地域は30年戦争終結の為の1648年ウェストファリア条約締結以降徐々にフランスに統合されていきました。

 

で、ゲーテはドイツのライプツィヒ大学のバタバタから21歳の時ストラスブールへやってきます。

住んでいたのはたった1年間でしたが、ストラスブールで出会った人々や出来事がその後のゲーテの作家・詩人としての基礎をつくったと言われているのです(^^)

 

こちら↓がゲーテが住んでいたストラスブールにある「ゲーテハウス」!!

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場所↓はストラスブール大聖堂近くの、

rue du Vieux-Marché-aux-Poissonという通りです!!

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私は1年ちょっとストラスブールに住んでいて、毎日のようにこの通りを通っていたのですが友人に聞くまで全く気が付きませんでした泣

というか、拡大してやっと「あっ、1770-1771年の期間住んでいたみたいだ」と分かります笑


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もっと看板とかだして宣伝すればいいのに!!とも思いますが、そうしてしまうと今住んでいる方や周りの建物の住人やお店に迷惑がかかるからこのくらいのモニュメントで抑えているのだろうか??

 

フランスとドイツ両国の歴史に深くかかわるストラスブールだからこその歴史ですね。

意外な偉人がかかわっていたりするのを知ると面白いです!(^^)!

 

またこのようなプチ情報がありましたら投稿したいと思います!!

 

最後に、読んでいただいた方へpetit cadeau!

 

ストラスブール大聖堂とそれを照らす満月』

2020年12月29日撮影。


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ジャック・シラク 『回顧録I』

皆さん、こんにちは!

 

またまた久しぶりの投稿となりました。

本来ですと、

先週マクロン大統領がコロナに感染されて先日復帰された話や、コロナワクチン接種が開始された一方でイギリスで見つかった新種のコロナが各国に入り込んでしまった話など投稿しようと思ったのですが、出来ませんでした😭

では私は何をして試験終わっての2週間を過ごしていたのか?

今日はとてーも個人的な話です😆

 

結論から言ってしまうと、

 

      ⭐️読書の再開⭐️

 

です🤣

こちらにどハマりして何もする気が起きなくなりました笑

読書以外にもこちらの友人とドイツに買い物へ行ったり、クリスマス会をしたりして楽しく過ごしましたが、ブログの投稿をしていなかった1番の理由はこの「読書」です。

 

期末試験が終わってから2週間ちょっとが経ち、他にやらなければならない事が沢山あるのですが、読書以外何もやる気にならず。。😭

加えて、フランスは現在20時以降の外出が禁止されていますし(例外有り)、遠くに出掛けたくても色々と制限がありますので旅行好きな私も遠出するのが億劫になってます。😭

 

では何の本を読んでいるのか??

ネタバレしてますが、

 

実は10日程前から、

シラク元大統領の『回顧録I』を読んでいます‼︎

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※パリにいた時にふと立ち寄ったBookOff(オペラの近く)で1€で購入したものです😊

シラク元大統領の『回顧録』は上下巻あり、

 

上巻→500p

下巻→600p のボリュームです‼️

 

単語や地名、歴史的な出来事を調べてながらの精読に近い読み方なのでどうしても進みが遅いです。

今のところ6章118pまで読みまして、

シラク家や幼少期の話、学生時代のアメリカ留学の話、アルジェリア戦争に従軍した時の話などから、シラク氏が後に大統領になるPompidou(ポンピィドゥー)首相に見出されて5月革命の際に雇用問題担当大臣?を勤めその後、経済財政大臣?(名称が正しいか不明です)に任命された所までです😊

 

日本の政治家の回顧録(私の履歴書系の本)は学生時代からたくさん読んで来ましたが、こちらの政治家の回顧録と比較出来る様になってくると本当に面白いです‼️

 

思った事は、分量が多ければ良いと言う訳でもないですが、欧米の首相級の回顧録は基本上下巻で1000p以上!の様に厚いですよね。

ド・ゴールチャーチルサッチャー、ブレア、ブッシュ、オバマシラクetc

日本で同じくらい内容がある方は中曽根康弘元首相と著作集として膨大な資料を残された大平正芳元首相くらいではないでしょうか?

私が読んできた方だとその位しか思い浮かびません。後藤田正晴氏の本も中々な分量の回顧録ですがインタビュー形式ですし。

 

これについてフト思った私の軽〜い考察。

①政治家の文章構成力・教養

シラク大統領の回顧録を読んでいて、やはり凄いなぁと感じたのは、

「自分(シラク大統領)は学校の勉強が好きではなかった!」と言いつつ(でもパリ政治学院と真ん中辺りの成績で国立行政学院卒業)、美術館に通ったり小説や詩集などをたくさん読まれているのです。

ポンピィドゥー氏と親密になれた理由の1つに2人に共通するこの部分の事が書かれていました。

 

②文化的要素

日本では自分のやってきた事は記録として残すのではなく墓場まで持っていくのが良いという考え方があるのだろうか?

歴史的に自分が叩かれるのが嫌だから回顧録でもあまり記述しない。

それが公文書関係に繋がってそうと思ったり。

 

読書は色々と考えさせられて、感じさせられての連続。それが大好きな所。

とかカッコいい事を言ってもまだ4分の1しか読めていない、わたし。

でも、これからミッテラン大統領についての話やパリ市長時代の話があると思うと早く読みたくて堪りません😊

上下巻読了したらまたご報告します!

 

日本語訳されていないフランス語の本を日本語の本の様にスラーっと読めるようになるのがフランスに来た目標の1つですので、これからも頑張ろう‼️と改めて思ったこの頃です😊

 

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最後まで読んで頂いた方へpetit cadeau 😊

ストラスブールを流れるイル川の夕日です!

バカンスの始まり\(^^)/

皆さん、こんにちは!

 

久しぶりの投稿です。😭

と言うのも、11月末〜12月10日まで学校の期末試験だったのです。泣

 

軽くIIEF B2クラスの期末試験についてお話させていただくと、

当初私は大学とは違って「語学学校の期末試験だから大丈夫でしょ!」と少し舐めておりました。でも初っ端からガツンとやられて、そこから久しぶりに本気で勉強しました🤣

 

選択式の問題がほぼなく、多くが3〜5行の記述式の為一単語や重要な点に山を張る一夜漬けでは全く太刀打ち出来ないのです。泣

ある授業の先生に期末試験について聞きましたら「このレベルからLicence(大学学部)やMaster(修士)にいけるかいけないかのレベルなのだからそれに合わせた様なテスト形式になるのは当然」との事でした。

というかB1とのレベルの差が激しいと思いました。

もしIIEFのB2クラスに行かれる方がおりましたら、そこは多少覚悟された方がいいかなぁと思います!!

 

最後の最後で事の重要さに気がつくという私でしたが、結果が出るまで1ヶ月あります。

さて、どうなるか!!

 

ドキドキの年越しですが、実は後期が始まる1月中旬まで1ヶ月間バカンスが始まりました😊

以下の写真は試験終わりに同じクラスの友人とストラスブールのcentre ville(中心街)を軽く歩いたときに撮ったものです!

 

chalets(出店)がないので少し寂しいですが、イルミネーションはやってます😊

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Place de Kléber のsapin‼️

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昨年このsapinの周りは常に人でごった返してましたが、今年は仕方ありませんね。。

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バカンスと言いながら、

12月10日夜、カステックス首相の声明があり、12月15日からフランスは新たな段階に入ります。

 

要約すると、

12月15日以降
*夜20時~朝6時に夜間外出禁止


*12月24日夜→外出禁止令は適用されない

12月31日夜→夜間外出禁止令が適用される


*夜間外出禁止時間中の移動は、

職場と自宅間の移動、健康上の理由、子供の世話や介護等の家族に関する理由、公益上の理由、 ペットの散歩等の限られた理由のみで、新たな形式の証明書を紙ま たは電子媒体で携行する必要がある

 

*20時以降の運動禁止


*夜間外出禁止時間以外の日中の移動の際証明書の携行は不要 


*地方間の移動を解禁

 

*外出は可能になるが、テレワークも引き続き推奨する


*映画館、劇場、美術館、スポーツ施設、動物園、サーカス、ゲー ムセンターやカジノ等の人が集まる施設の閉鎖を更に3週間延長。

1月7日の再開を検討


*その他の現在閉鎖中の施設は引き続き1月20日の再開を検討

 

との事です。

コロナの影響で予約していた飛行機がキャンセルになり、今年のお正月はフランスで過ごすことになりました。

でもこの声明のおかげで来年に向けてフランス語を毎日勉強するという理由(外的要因)が作れましたので、少しずつ頑張ろうと思います!

読書もできるし、バカンス充実させていきます!!😊

 

 

 

 

フランスの国歌La Marseillaisとストラスブールのちょっとした繋がり😊

皆さん、こんにちは!

 

ストラスブールは朝晩-1〜-2とかなり冷え込んで来ました❄️🥶

来週から2週間強の期末試験なのですが、ずっとオンライン授業のせいか何とも試験という気が全く起きず、オンライン授業のデメリットの1つ「モチベーションの維持」の難しさを身をもって体験してます。

 

さて、本日はフランスの国歌「La Marseillaise (ラ・マルセイエーズ)」がストラスブールとちょっとした繋がりがあったという話を投稿しようと思います😊

 

フランス史フランス革命)の期末試験の復習をしている時に知りました!

 

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(民衆を導く自由の女神)

 La Marseillaiseとは??

世界で有名な国歌TOP5に入るのでないかと思われるフランスの国歌、ラ・マルセイエーズフランス革命時の革命歌で、マルセイユ義勇兵が隊歌としてパリで歌っていたことから広まりました。

訳すと「マルセイユの人々」となりますが、日本ではその過激な歌詞が有名かと思います。

加えて、Beatles「All You Need Is Love」のイントロでも使われてますね😊

参考までに、一番の歌詞↓を載せます!

 

Allons enfants de la Patrie

(行こう、祖国の子供たち)
Le jour de gloire est arrivé 

(栄光の日が来た)
Contre nous de la tyrannie

(我々に対して、専制の)
L'étendard sanglant est levé

(血に染まった旗が掲げられた)
L'étendard sanglant est levé

(血に染まった旗が掲げられた)
Entendez-vous dans les campagnes

(聞こえるか、戦場の)
Mugir ces féroces soldats 

(凶暴な兵士たちの咆哮を)
Ils viennent jusque dans vos bras

(奴らは我々の腕の中までやってくる)←我々の側まででもいいのかな?
Égorger vos fils, vos compagnes 

(我々の息子や妻の喉を掻っ切りに)

Aux armes citoyens

(武器を取れ、市民たちよ)

Formez vos bataillons

(隊列を組め)

Marchons Marchons

(進もう 進もう)

Qu'un sang impur

(穢れた血が)

Abreuve nos sillons

(我々の畑の畝を濡らさんことを)

訳-風来坊

 

改めて見ても、血とか喉を掻っ切るとか凄いですよね笑

 

話を戻して、

時はフランス革命後の立憲王政時代の1792年4月、フランス政府はオーストリア大公国へ宣戦布告をします。この時ストラスブールのライン方面軍に配属されていたのが作詞・作曲を手掛けたClaude Joseph Rouget de Lisle(クロード・ジョセフ・ルージェ・ド・リール)大尉です。

そして、当時の初代ストラスブール市長Philipp Friedrich Freiherr von Dietrich(フィリップ・フレデリック・ド・ディートリヒ)が方面軍の士気高揚のための行進曲の作成をリール大尉に要望します。

そして一晩で出来上がったのが「Chant de guerre pour l'armée du Rhin(ライン軍のための軍歌)」、のちのラ・マルセイエーズです。

これを聞いたディートリヒ市長は大喜びだったといいます。

そしてこの曲はフランスで徐々に知れ渡っていき、1792年8月のチュイルリー宮襲撃事件(8月10日事件)の数週間前にパリ入城をしたマルセイユ義勇兵達が歌っていたのをパリ市民が聞き、その間で大流行したというのが起源なのです(^^)

その後いくつかの変遷はありましたが、第四共和制と現在の第五共和制憲法にはしっかり国歌はラ・マルセイエーズと書かれています。

 

つまり、現在の国歌が作られた場所と作曲をお願いした人がいた場所がストラスブールだったのです!!

マルセイユの「人」によって広められましたが、作られた「場」を主とすれば「ストラスブールの~」みたいな国歌になっていた可能性があるのです笑

因みに作曲を要望したディートリヒ市長はその後、上記の8月10日事件を抗議した廉で捕らえられ処刑されています。

フランス革命からナポレオン登場までの14.5年間って外国人の私が見ても、フランス政治とフランス社会が混乱していたのがよく分かります。

 

以上、ラ・マルセイエーズストラスブールの繋がりについてでした!

私は日本史選択だったのでフランス史については勉強中です。。なのでともに勉強できる方募集中です( ´艸`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リヨンのレジスタンス博物館について😊

皆さん、こんにちは!

 

本日は以前のブログで誤って削除してしまったリヨンにある「レジスタンス博物館」↓について再投稿しようと思います!!

 

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削除してしまった時からすぐに再投稿しないととは考えていたのですが、なかなか出来ず、本日、下の記事↓をみて今日投稿しようとなりました(#^.^#)

 

www.lemonde.fr

 

亡くなったダニエル・コーディエ氏の簡単な略歴は、

第二次世界大戦期のフランスでRésistance(レジスタンス)運動をしていた方で、レジスタンスの英雄ジャン・ムーランの秘書をしていた方です。戦後は1946年のド・ゴール将軍の最初の下野から政治的な活動はやめられて、美術の世界で活躍されます。享年100歳。

 

早速マクロン大統領もSNSで弔辞↓を送られました。

 

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ダニエル・コーディエ氏について今日初めて知りましたので、この記事以上の事を知りませんが多数ご著書も出されているので機会があったら読んでみたいと思います。

心からご冥福をお祈りします。

 

 さて、こちらを見学したのは私がリヨンにいた2020年7月15日でした!

正式名称は、

 

Centre D'histoire De La Résistance Et De La Déportation 

(レジスタンス博物館)

 

です!!!

 

簡単に、レジスタンス運動について。

1939年にナチス・ドイツポーランドを侵攻したことによって始まったのが第二次世界大戦。そしてフランスはドイツ軍の「電撃戦」によって敗北し1940年6月降伏します。

そしてフランス北部をドイツが占領し、南部をヴィシー政府(ドイツの傀儡フランス政府)が統治することになります。そのヴィシー政府の主席がペタン元帥です。

対して、この傀儡政権を良しとしない人々が居ました。その人たちが反ナチス、反ヴィシー政府で活動しました。その運動の総称を「レジスタンス」と言います。

Résistanceとは「抵抗」という意味の言葉ですが、フランスではWWⅡ時代のこの運動のことを指します。

レジスタンスで有名な人物と言えば、フランスの英雄シャルル・ド・ゴールと、レジスタンスの英雄ジャン・ムーランです。

 

さて、中に入ってみましょう!!

こちら↓が入り口です。

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住所 14 Avenue Berthelot 69007 Lyon

 

営業時間 現在休業中

     水、木、金 10時~17時30分

     土、日   10時~18時

     月、火    休館

 

行き方 トラムT2 station centre berthelot scienc po lyon で下車目の前

 

料金 大人 8€

   18歳以下、身体障碍者等 無料

 

HPはこちら↓です! 

Musée d'histoire de la Seconde Guerre Mondiale à Lyon.

 

入り口を抜けるとこのような中庭が見えますが、レジスタンス博物館はリヨン政治学院という学校の敷地内にあるようです!!
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ここが博物館入り口↓です!

上の中庭の写真の左奥側にあります!
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館内に入るとき係の方からマスクの着用とジェルを手に付けて下さいと言われました。

そして入って左側にある受付でお金を払って入場します!

こちらで英語の音声ガイド3€(18歳以下は1€)で借りることもできるみたいです!

 

パンフレットをもらうと一階のシアタールームに行って映像を見た後、二階の見学スペースへ上がってくださいと言われました。

 

シアタールームでは写真を撮るのはやめてくださいと言われましたので撮れませんでしたが、内容は1980年代の裁判映像でした。

被害者なのか泣きながらお話されていたMadameが印象的だったのですが、それ以上に印象に残ったのが隠れていた戦争犯罪人の方が出廷して、淡々と当時の事を話していたの所でした。

 

20分程映像を見た後、言われた通り二階に上がります。

 

シアタールーム前の壁に貼られていた戦争映画のポスター↓
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二階には様々な展示があり、すべてフランス語表記です。

 

ド・ゴールからジャン・ムーランへの手紙の展示↓
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こちらがレジスタンス運動の英雄ジャン・ムーランについての展示です

まるで俳優さん?と思えるようなイケメンですよね!
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バラバラに活動していたレジスタンス運動をしっかり組織化するためにロンドンにいたド・ゴールに会いに行くだけでなく、スペインやイタリアとも連携を図った彼であったが、リヨン郊外で会議の最中裏切りに会い逮捕され拷問の末、44歳で亡くなりました。

 

ヴィシー政府統治時代の町や民家内部の様子を再現したスペース

光が反射して見えにくいと思いますが、入り口のパネルには

「souvenirs des annees noire(暗黒時代の思い出)」と書かれてました。

精神的にも物理的にも暗かったことがわかります。
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こちらは民家内部↓です

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やはり、国家元首肖像画は部屋の一番目立つところに飾られてます。

フィリップ・ペタン国家主席。この方は第一次世界大戦でフランスを勝利に導いた英雄だった。
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このスペースを出るとお土産屋さんがあり、その隣に館内の出入り口スペースに出ます。

 

以上、リヨンのレジスタンス博物館についてでした!!!

レジスタンスというとどうしてもド・ゴール将軍がパッと浮かびますが、知れば知るほど多くの方がフランスのために犠牲になったのだなぁとしみじみ。

 

日本の歴史を眺めて、私は父方の祖父母が生まれた大正時代がとても好きなのですが、昭和に入り満州事変辺りになってくると結果を知っているからかそこからの14年間の歴史を振り返ることがどうしても出来ませんでした。

でも外国の大戦期の歴史を調べていくうちに少しづつその抵抗が弱まっている感じがしてます。それについてはいつか投稿できたらと思います。

 

とても重たい内容の記念館なので、私の様な歴史好きには何時間でも過ごせる場所かもしれませんが、興味がない方にはつまらないかなぁと思います( ´艸`)

 

でも目を背けることのできない近い歴史です。是非見学してみてください!!

 

 

 



 

ロックダウン2週間を経て感染者数が激減!?

皆さん、こんにちは!!

 

10月30日から始まったreconfinement(再ロックダウン)も2週間ちょっとが過ぎました。

 

私は週に2〜3回散歩を兼ねて買い物へ行きますが、本日も16時の授業終わりにストラスブールの中心街へ行って参りました😊

 

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帰りに撮ったストラスブール大聖堂↑です!

大聖堂の周りは普段と違い閑散としてます。

ですが、私は陽が沈む前のこの時の青い空が好きです😊

 

さて、先程フランスのコロナ感染者数↓を見て大変驚きました。なんと9,406人‼️

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昨日が28,000人弱だったのでその数は激減です。

 

なのですぐにLe Figaro の記事↓を確認しました。

 

www.lefigaro.fr

 

ベラン保健相は「今日のこの数字はピークを過ぎたことを示唆している」と述べられました。reconfinementの効果は徐々に表れていると。

 

ただ、

Nous n’avons pas encore vaincu le virus. (…) Clairement, il est trop tôt pour crier victoire et relâcher nos efforts.

(我々はまだウィルスに勝利したわけではない。勝利宣言をし、我々の努力を緩めるには明らかに早すぎる)訳-風来坊

 

つまり、一応12月1日までとされている現在のロックダウンの緩和も限定的になるという可能性も捨てることはできないとも述べられてます。

※この緩和に関しては、11月12日(木)のカステックス首相の声明で仰られた内容のことです。

要約すると、

 

・12月1日以降に緩和措置が取られら場合も証明書の携帯は必要

・現在閉鎖中の商店を感染予防措置強化の下営業を許可する(レストランやバーは閉)

・その他人が大勢集まる場所は引き続き閉鎖

 

という内容です。

先週から今週あたりがピークだろうと言われていた中でのこの数字でしたので、少しほっとしましたが、他の記事には「12月以降もロックダウンは続き、クリスマス前にフランス国民のガス抜きのため一度緩和して、来年に入ってまたロックダウンを行うのではないか?」と書かれてました。

さて、どうなるか??🤔

 

でも、大学が開かれる可能性は低そうですね。

オンラインでも読解やリスニング試験が出来ないか、先生たちも模索されているみたいで先週オンラインで読解試験を時間をはかって解きました。

オンライン授業もすっかりベテラン??になってしまった私ですが笑、日々変わらずフランス語と格闘してます。

 

でも反対に日本は少しずつ感染者が増えているみたいですので、心配です。

何とも他人事のようになってしまってますが、皆さんお気を付けください。