皆さん、こんにちは、こんばんは。
先日ストラスブールの中心を流れるイル川沿いで友人と軽く飲みまして、ちょうど1年前も川沿いでクラスメイトと飲んだなぁとしみじみ。
色々と考えちゃいます。
光陰矢の如し、1年があっと言う間に過ぎ、縁あってまたストラスブールにいる自分を昨年は想像もしていなかった。
人生は想像通りいかないものですが、その時その時を一生懸命やっていれば意外と楽しく有意義に過ごせる気がします^ ^
しっかし、川は思考するのに適した場所なのだろうか🤔
今回はストラスブールにあるPetite France(小さなフランス)と呼ばれる地区について投稿します!!
イル川の本流が4つに分かれているのですが、そこがPetite Franceです!
以前のブログでも書きました様に、ストラスブールはフランスとドイツ間で取った取られたを繰り返した歴史を持っており、その影響から現在フランスにあってもドイツの文化も根強く残してます。
その1つがPetite Franceにあるcolombage(コロンバージュ)と呼ばれる伝統家屋です^ ^
これは元々ドイツの田舎でよく見られる建築様式らしいですが、柱や梁などの骨組みを木材でつくるもので、白壁に黒い木骨組みの建物が綺麗に並んでます^ ^
これは昔1階の面積によって税金が決まっていたらしく多くの人が1階を狭く作ったからみたいです。日本は京町家の様に間口を狭くして長方形の様な家がありますが、それと原理は似てますね!!
↑撮影した2020年9月20日は日曜日だったので、人は結構居ました^ ^
イル川沿いのレストランのテラス席で食事をする人々^ ^
↑伝統家屋を見ながらイル川沿いを散歩できます^ ^
料金は、ボートの種類によって違います。
5人乗り 1時間:40€ 2時間:70€ 3時間:90€
7人乗り 1時間:50€ 2時間:90€ 3時間:120€
11人乗り 1時間:70€ 2時間:130€ 3時間:180€
です!因みにこの日は全て満員でした。
興味がある方はこちら↓のHPをご覧下さい!
でもそもそも何故Petite France(小さなフランス)という名前なのか?
調べたら由来は2つあるみたいです。
1️⃣宗教改革の影響?
1530年代に入ると、フランスではプロテスタントへの弾圧が厳しくなり、その時指導的役割を担っていたフランス人のジャン・カルヴァンはプロテスタントの街ストラスブールで3年間過ごし、スイスのジュネーヴに亡命するのです。
2️⃣梅毒の施設があったから?
このタイトルだけ見るととても不名誉ですが、15世紀末フランスとイタリアは戦争を長きにわたってしてました(イタリア戦争)。
その時、病気(それが梅毒)を患ったフランス人兵士達をストラスブールのこの一角で収容した事からPetite Franceと呼ばれる様になったらしいです。
現在ではこちらの方が有力な説みたいです。
2つに共通するのは16世紀辺りにはPetite Franceという名称は存在していたことです。
今でこそ御伽話に出てくる様な美しい街並みを残し、観光客で賑わう場所ですが昔はストラスブールの産業を支えた場所でした。
皮のなめし工の方がたくさんいて、動物の皮を洗うために皮の水を使用すること、運搬にも十分使える事などから最適な場所だったみたいです。
歴史的に役割を果たしたと思いきや、現在では別の産業で活躍する姿はカッコいいですよね^ ^
実はそれが究極の地方創生なのかもしれない。
上記↑8枚、2020年9月20日撮影。
以上、Petite Franceについてでした!
ストラスブールの歴史を知るには、ドイツやイタリアの歴史も知らないと行けないのかもしれません。
ヨーロッパはだから面白い。
ストラスブール駅から徒歩10〜15分程で着きますのでお越しの際は是非見学してみて下さい^ ^