フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

クレベール将軍について!

皆さんこんにちは!

 

学校が始まるまでブログをいくつか投稿出来ればと思っております😊

 

恒例のコロナネタ。

先日フランスのコロナ感染者数は+25,379人。←かなり増えてるやないかーーい。。

現在のフランス政府はワクチン接種の人数が少なすぎる!と野党を中心に批判されています。

マクロン大統領も政府幹部にその対応の遅さに激怒したとか。

でも私が毎日みているある政治家は自身のTwitterで「政府を批判する人達はワクチン接種にもともと懐疑的、批判的な人達だ」とツイートされてました。

様々な意見あるのでしょうが、政府は批判を受けてワクチン接種の対象を大きく広げたようです。対応が何とも早い。

その意思・動機はもちろんわかりませんが政府や政治家がしっかりと迅速に行動で示せている様に思うのは私だけではないはず。

対して日本。GoToで疲弊した観光業や地方を救う結果になったのかな?結局今の感染者数の増加が人の移動・外国人の受け入れを大幅に開始したことが原因だったら。。。

それでは場当たり的!と言われてしまいますよね(´;ω;`)

どうなるのやら。。。

 

さて、本日は

私のブログでもよく登場しているストラスブール中心街にあるPlace Kléber(クレベール広場)の名前にもなっているジャン=バティスト=クレベール将軍について軽く投稿します!!😊

 

こちらがクレベール広場にあるクレベール将軍の像↓です!(^^)!

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ジャン=バティスト=クレベールって何者???

 

簡単に言ってしまうと、あのナポレオンに見いだされた軍人です!

クレベールは1753年3月9日にストラスブールで生まれました。

3歳でお父さんを亡くし、大工だった義父の影響で元は建築家志望でストラスブールとパリの学校で建築を学びました。

ですが軍歴はだいぶ変遷があり、16歳だった1769年に初めてフッサール連隊(陸軍)に入隊し、その後1777年にはドイツのミュンヘン陸軍士官学校に入学しその後オーストリア軍の兵卒として軍務に就きました。

そして一旦故郷のストラスブールに戻り建築家としてベルフォール市で建築家として働いていたがフランス革命の変動の中、1792年に再度フランス陸軍に入隊しそこから怒涛の昇進をしていきます。

彼を有名にしたのが、1793年から数年に及んで起きた「ヴァンデの反乱」を鎮圧したことでナポレオンに見いだされ1798年「エジプト遠征」に同行します。

そしてナポレオンのフランス帰還に伴ってエジプトの留守を任された。

1800年3月のヘリオポリスの戦いで数で圧倒するオスマントルコ軍を撃破しその名声はとどろいた。

が、戦いから3か月後の6月14日ソレイマン=エル=ハラビーという23歳のクルド人によって暗殺された。享年47歳。

 

ナポレオンは彼の死を知り、共和派の政治的なシンボルとして扱われることを怖がり、クレベールの遺体をフランス本国に入れさせなかったらしいです。

ですが現在は故郷ストラスブールのクレベール広場の銅像の下に埋葬されています。

 

付録:彼の名を冠したものはストラスブールだけでなく、フランス各地にあります。

・クレベール高校(ストラスブール

・クレベール通り(パリ15区、ナンシー、コルマール、その他多数の都市)

・モニュメント(クレベール高校、ルーブル美術館北正面etc)

 

すみません、参考にしましたのは下記のフランス語版wikiです。

間違いがありましたら教えてください!!

Jean-Baptiste Kléber — Wikipédia (wikipedia.org)

 

以上、クレベール将軍についてでした!!

前からこの方はどんな人物なのだろうか?と思っていたのでいい機会と思って今回軽くですが調べてみました!(^^)!

ナポレオンの右腕がストラスブール出身というのはやはり郷土の英雄なのでしょうね!

やっと中心地に銅像が立った理由がわかりました!

 

まだ知らないストラスブールの偉人・有名人がいるみたいなのでちょくちょく調べたいと思います!