フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

河井継之助を辿る旅①〜新潟県長岡市〜

シリーズ物としてこれから

河井継之助を辿る旅」と題して4回に分けて日記や写真を振り返りながら投稿したいと思います!!!

 

まずは彼の故郷である新潟県長岡市‼️

 

2013年11月29日〜12月2日

私は新潟県長岡市を訪れた。行き帰りともに夜行バスだった。
中学生の頃から大尊敬する河井継之助について理解を深める目的だった。この期間中に様々なところを回っていく中で、山本五十六小林虎三郎といった長岡の偉人についても知る事が出来、とても良い機会だった。

 

当時私は大学4回生で京都市にいた。

卒業単位も前期で全て取っていたこともありバイトと読書三昧の日々だった。

ある日、「そうだ!これを機になかなか行けていなかった河井継之助を辿る旅に出よう!」と思いついたのだ。

 

彼の出身は現在の新潟県長岡市。現在彼の生家跡には「河井継之助記念館」がある。現在まででこちらへは10回は行ったと思う。

長岡市河井継之助記念館↓。

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詳しくはこちらの記念館のサイト↓をご覧下さい。

https://tsuginosuke.net

 

日記

実際に彼が写した本や書いた掛け軸などを見て感無量。彼の唯一の著作『塵壷』を見た時は身震いしてしまった。

近くには「山本五十六記念館」↓もあります!

当然入りました!

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※今日の主人公は河井継之助なので割愛。

 

朝一で「長岡市 郷土資料館」↓へ。

こちらは長岡駅からバスに乗って15分程行った所にある悠久山という山の上にある。

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長岡市の歴史を学べる素敵な所だったが、河井継之助についてはそこまで充実していなかった。
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また栄涼寺河井継之助のお墓参りもした。

彼は長岡を荒廃させた人物として一部の人たちから反感を買い、お墓は所々欠けていたり、ヤスリみたいなので削った跡が生々しく残っていた。私は近くのコンビニで買ったカップ酒とお花を供えた。

日記

彼のお墓を見て、人々の評価の難しさを知る。彼の残した言葉に「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ」というのがある。まさにこの言葉に凝縮される彼の人生の結果がこれなのだ。政治は難しい。

 

そして私がこの旅で1番印象に残ったのが、

如是蔵博物館」という長岡駅近くの博物館。

そこの館員のマダムと仲良くなってしまい、2日間連続で伺いました。
1日目は閉館の16時を過ぎ、17時まで話し込んでしまい、「明日も開館が10時だから、9時に来な」と言われたのでお言葉に甘えました。

このマダムが凄い方で、さすが館員さんと思った。
面白い会話の一節↓(日記から)。

マダム 「あなた、そんなに歴史の知識あってどうするの?学者にでもなるの?」

 

私 「いえ、世の中の為に使おうと思います」

 

マダム 「そんな奴は世の中にいっぱいいるのよ。それができるか、それだけの行動力・実現力があるかが問題。河井継之助もいいけどあなたの場合は野本恭八郎や山口権三郎など長岡の他の偉人からの方が学ぶ事多いのでは?」


正直この2人について知らなかったのでホテルで直ぐに調べた。
簡単に言うと、戊辰戦争後の長岡を立て直した方々です。

 

日記

長岡の気風なのだろう。
戊辰戦争、WW2の空襲を経験し、そこから這い上がって来た強さ。
いくら社会に対しての理想や知識があっても、実践し、実現できなきゃ意味がない。政治は結果がすべてと言われる所以だ。あそこの道路を通したとか橋をかけたなど即物的な評価はあまり好きではないが、好き嫌いで括ってはいけないと学んだ。
また実践するには、まず自分自身を磨いて「気」を養わなければならない。
まさに、最近感じていた事。頭でわかっても難しい。

長岡市民の中でも河井の評価は今でも半々なのだろう。

先程のマダムが河井継之助を大尊敬する私に対して他の偉人を紹介したのは長岡の他の偉人についても知ってほしいという思いと、河井を尊敬する危険性を知っていたからだと改めて思う。

若いうちは高い理想や社会変革後のユートピアに血湧き肉躍るものなのでそれは余計にそう思うだろう。

 

こちらは小泉純一郎元総理が2002年の所信表明演説で引用された「米百俵」の逸話で知られる小林虎三郎の碑↓です。あの、佐久間象山塾で吉田松陰(吉田寅太郎)と「二虎」と並び称される程の秀才だった方。

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以上、長岡市での話でした。

長岡で接する事が出来た方々の河井への評価は中々厳しいものばかりでしたが、反対に私の尊敬度合いは高まるばかり。

普通を好まない性格は私と通じるものがあると親近感すらわいていた。

彼を通して現代の政治を見つめる事が出来て楽しかった。