4月30日(土)àトゥールーズ。最高気温22°。
晴れ、時々曇り。風もなく中々暑い日だった。
明日はメーデーということで買い物客が大勢いた。
さて先日トゥールーズ大学日本語学科に通う彼女が「日本史」の期末試験があるということで夕飯を食べながら色々と話していたのですが、その時にSamouraï(侍)の話になりました。
彼女「今回のテスト範囲は平安時代末期の平家滅亡〜明治維新なんだよね」
私「そんなに!?長いなぁ。。でも丁度武士が日本を実質的に統治してきた期間だね」
彼女「そうなの。でも江戸時代を除いて戦いばかりだねこの時代」
私「そう言えば、こっちの人にとって侍といえば切腹、ハラキリでしょ?フランス人が初めてハラキリを見て衝撃を受けた出来事知ってる?」
彼女「なにそれ!知らない!」
私は堺事件のWikipedia(フランス語)↓を彼女に見せた。
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Incident_de_Sakai
彼女「うわっ。食欲無くなった。。。」
堺事件とは?
堺事件(フランス語ではIncident de Sakai)は、1868年3月8日、和泉国の堺港(現在の大阪府堺市)で起きた、土佐藩士によるフランス帝国水兵殺傷事件です。
ことの発端はフランスの軍艦が測量のため堺港に停泊しました。
そこで士官以下暇をもてあそんでいたフランス海兵は、堺の町に繰り出して遊びます。
が、遊びがすぎて堺の人たちは迷惑し、それを明治新政府のもとで堺港を守備する土佐藩士に訴えました。
土佐藩士達は幾度となく静止を促すも言葉も文化も通じない。業をにやした土佐藩士はフランス水兵に発砲し、フランス兵11人を殺害してしまいます。
これに怒ったのが時の駐日仏公使レオン・ロッシュ↓です。下手人斬刑・陳謝・賠償などを求める抗議書を明治新政府へ提出。
ただ折しも戊辰戦争真っ最中の明治新政府。国内だけでなく外国からも攻められる可能性がありフランスへ強く出れず。
そこでフランス側と交渉に交渉を重ねた結果、隊士全員ではなく、隊長以下二十人を処刑することで話がまとまる。
でもここで驚きなのが、
処刑される者の選び方がなんと“くじ引き”だったのです。
まぁ、公平と言えば公平なのかもしれませんが。。。
隊長を含めた4人がまず死刑と決まり、他の16名は隊員の中からくじで選ばれることに。。。
そして3月16日、堺の妙国寺↓で刑を執行。
フランス側からはフランス海軍艦長アベル・デュプティ=トゥアール↓以下下士官。
ここでフランス人は衝撃を受けます。
切腹の場で藩士達は自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス水兵に投げつけたのです。
死についての哲学を強く持つ侍たち相手にそりゃ驚きますよね。
結局は11人が切腹したところで艦長が外国局判事五代友厚↓に中止を要請し、結果として9人が助かりました。
フランス海軍艦長の中止要請はその凄惨さに耐えられなくなったという説、フランス人の人的被害と同数になったからという説と、フランス側が望むような戒めになるどころか逆に侍が英雄視される恐れがあると思ったからいう説があるみたいです。
以上、堺事件についてでした!!!
意外とこの事件について知らない方は多いのではないかと思いして投稿しました!
彼女は侍への興味から日本語を学んでいますが、良くも悪くも外国人に侍の強い衝撃を与えた事件ですよね。