Colombey-Les-Deux-Églisesに行ってきた③~ド・ゴール記念館編~
Colombey-Les-Deux-Églisesについて最後の記事です!!!
①Colombeyの街編
②ド・ゴールのお墓と終の棲家(Boisserie)編
本日はColombeyにあるド・ゴールに関する施設で外せない、
Mémorial Charles De Gaulle
について投稿します!

こちらの施設は街を見下ろせる丘の上にある施設で2008年ニコラ・サルコジ元大統領の時代に完成しオープンしました!!!
開館日には当時ドイツの首相だったメルケル氏も来たとのことで館内にはその時の写真が展示されていました。
※この写真の真ん中左あたりにある木々が先日投稿したド・ゴールの終の棲家(Boisserie)です!
中に入って入場料を支払うと目の前には特別展ということで歴代フランス大統領が乗っていた車がズラーっと並んでいました。
ド・ゴールと次のポンピドゥー元大統領時代の車はカッコいい!と思えたのですが、その後のジスカール・デスタン、ミッテラン元大統領の車は「本当に大統領が乗る車か?」感があってあまり。。。。。。って思ってしまいました笑
※ポンピドゥー大統領の車の写真を撮っておらずここに投稿出来ないことができなくてすみません。。。
ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領が乗っていた専用車
フランソワ・ミッテラン大統領の専用車
ジャック・シラク大統領の専用車
※フランソワ・オランド大統領とエマニュエル・マクロン現大統領の専用車の展示はなく、パネル↓のみでの紹介でした。


その後は車の展示を抜けてこちらのエレベーターを使って外に出てロレーヌ十字を見学します!!!
エレベーターから降りるとこのように整備された道があり、道なりに進んでいきます。
これが第二次世界大戦中レジスタンス運動のシンボルだったのと同時にColombeyのシンボルであるロレーヌ十字(Croix de Lorraine)です。この高さは43m。
私がこの写真を撮ったすぐ横にこのロレーヌ十字について説明するパネルがあります。
その後中へ戻りド・ゴールの生い立ちから彼の家族、戦争中の彼の動き、そして彼とColombeyの繋がりを学べる展示がたくさんあります。
因みにこちらの施設はフランス語、英語そしてドイツ語で展示の説明がありますが、それぞれの展示に付いているQRコードを読み取ればプラスで中国語でも見る事ができます。日本語がなく少し残念。。。泣
また本気でここを見学しようと思ったら2時間は最低でも見た方がいいと思います。
彼が軍人になって経験した塹壕を体験するコーナー
彼の著作の初版本が置いてあります
ここから戦争時代の話
イギリスへ亡命した時の話
演説原稿を書くド・ゴール
歴史的な演説「Appel du 18 Juin(6月18日の呼びかけ)」です。

ここから戦後の彼を巡るコーナーとなります!!!

奥様とColombeyを散歩するド・ゴール
彼が亡くなった時の新聞
彼の葬式の様子。
ひとつ前の記事に投稿したお墓がある教会。当時の姿と同じ姿で現在も残っているのだなと思った。
見学終了後、お昼を大きく過ぎていたのでお土産ショップに併設してあったカフェでニョッキを購入して外で食べた。
こんな美しい風景を見ながらたべるニョッキは最高でした。
【小話】
館内の職員さんと少しお話した話。
私:ここの展示にド・ゴールが訪れた外国のパネルがありましたが、彼はゴーリズムの象徴の一つとも言える中国との関係強化をしました。私は日本人なのですが彼は日本について言及した事が余りにも少ないと思います。彼は日本についてどう思っていたと思いますか?
職員さん:確かに彼は日本へ訪れた事もなく言及した事も殆どありません。ただ彼は日本に興味が無かったというわけではなく、日本独自の文化をとても尊敬していたと思います。日本を1つの文明と見ていたと思われる事を何かで話していた気がします。また日本が経済発展していく過程も見ていたわけですし、日本の潜在能力は認めていたと思います。
とのことでした。
以上、Mémorial Charles De Gaulleについてでした!!!
見学者は私たち以外にもざっと20-30人はいたのではないかと思います。
これでド・ゴールを巡る旅は一旦終了になるかと思います!
リールの生家に行き、そして今回のお墓と終の棲家を訪れたので後は彼の著作をじっくり読んで彼の思想を今以上に研究していこうと思います。
Colombey-Les-Deux-Églisesに行ってきた②〜ド・ゴールのお墓と終の住処(Boisserie)編〜
得意な時差投稿www
こちらの記事↓の続きです!!!
本日はある意味このシリーズの本題と言える、
シャルル・ド・ゴールのお墓と終の棲家(Boisserie)
について投稿します!!!
ホテルに着く前まで雨が降ったり止んだりでどんよりした空模様だったのですが、ホテルについてから晴れ間が見えてお墓参りの時には完全に晴れていました。
晴れ男の本領発揮といったところでしょうか😊
話を戻して、
中心街の教会にあるお墓は彼の遺言通りとてもシンプルで、ダウン症で20歳で亡くなったAnneさんと彼の奥様が一緒に眠っています。そのすぐ横のお墓には1番目の娘さん、そして目の前には昨年102歳で亡くなった長男のPhilippe de Gaulleとその奥様のお墓があります。
お墓の中心に立っていた十字架

シャルル・ド・ゴールと奥様(写真右側)、そして次女(アンヌ)のお墓

家庭内でもシャイだったド・ゴールは次女アンヌには心開いていたと言われており、終生その愛情を注ぎ続けていました。
彼らの関係については過去のこちらの記事↓も一緒に読んでみてください!
ド・ゴールのお墓の正面にある息子フィリップ・ドゴール(右)と彼の奥様のお墓
ドゴール夫妻のすぐ横にあるド・ゴールの長女(エリザベート)とその夫の墓
多くはないですが私たち以外にもちょくちょく家族連れや老夫婦がお墓参りに来ていました。
現在のフランスを形作った英雄のお墓にしてはとても質素です。
さてここから次は彼の終の棲家へ行きます!!!
お墓からジェネラル・ド・ゴール通り↓を南に下って5分程歩くと右側に彼の終の棲家(Boisserie)が見えて来ます。

私はこの通りのプレート↓のマグネットをお土産屋さんで購入しました(笑)
終の棲家の入口↓です。
門の前にあるチケット売り場(お土産ショップも兼ねている)でチケットを購入すると案内の方がドアを開けてくれます。

門の中へ入り、道なりに進んでいくと立派な館↓が見えてきます。
中庭です
館前から見るColombeyの田園風景は本当に美しく、車の通る音や人が談笑する声よりも鳥のさえずりの方がよく聞こえてきて心落ち着かせる事が出来ます。
この風景をド・ゴールは愛していたのだなぁとしみじみ。。。

館へは中庭の裏側↓から入場します。
実はこの館は今でもド・ゴールのご子孫が使用しているため内部の写真撮影は禁止されており、また2階へは上がれませんでした。
ですが、salle à manger(ダイニング)やbureau(書斎)を見る事が出来ます。
個人的に感動したのは彼が1970年11月9日に亡くなった際に倒れていた机がそのまま残っていたのと、彼が大作『Mémoires de Guerre』を書いた書斎が当時のまま残されているところでした(※中に入ることは出来ません)。
教養溢れる彼の文体や演説を支えた蔵書も見学できそれも良かったです。
中庭を上に上がっていくとこのパネルがあり、実はこの場所は昔はテニスコートだったみたいです!!!
【小話】
見学を終えチケット売り場へ戻りお土産を購入しつつ受付の若い女性と軽く話をしました。
私:ここへ日本人の観光客は来ますか?
女性:私はここで働き始めてまだ日が浅いですが、正直アジアの方は数回だけ見ました。でも彼らが日本人であったか中国人だったかはわかりません。ここに来る外国の方はアングロサクソン系が殆どであとはドイツの方がちょっと来る感じです。
前回の投稿通り場所が場所なので中々来ようとは思えないのと、そもそもド・ゴールについて関心がないというのもあるのかもしれません。
日本人に関して言えば、ある意味日本贔屓で著作の中でも何回も日本に言及しているチャーチルと違い、ド・ゴールは日本について殆ど言及していません。そこが日本でド・ゴール不人気というかあまり有名でない理由かもしれませんね。
ド・ゴールと聞けば「空港!」となるくらいでしょうか?笑
長くなりましたが、次回は終の棲家からも見える2008年にオープンした
Mémorial de Gaulleについて投稿します!
通報されそうになった!?
皆さん、こんにちは!!!
最近なかなかブログを開くことがなく、かなりご無沙汰となってしまいました😅
久しぶりの投稿なのにも関わらずタイトルが中々重々しいという笑
私は6月8日(日)〜6月13日(金)で2年ぶりにパートナーの実家があるLavelanetへ帰省していました!

※看板がひっくり返っているのは、地元の農業従事者がフランス政府・EUの農業政策への反対を表明するためにしたみたいです。
今夏は日本へ3週間ちょい帰るのとパートナーのお母さんが久しぶりに会いたいと言っていたというのでお休みをもらって会ってきました😊
パートナーの実家はトゥールーズの中心街から車で1時間15分ほどかかる田舎町。

特徴としてはカルカッソンヌとまではいきませんが美しい城跡が点在している地域です。
到着した8日はパートナーの従姉妹さんの運転で18時頃実家に到着し、そこから少しapéritifを楽しみながら皆んなで談笑していました。
さてここからが本題!!!
apéritifも進み一度外の空気を吸おうとまだまだ日が落ちそうもない程明るい20時半頃、パートナーの実家の前の通りを私は1人で歩いていました。
そしたら隣のお宅のムッシューと目が合いました。
私:Bonjour Monsieur!(こんにちは!)
と持ち前の笑顔で挨拶。
すると、
Monsieur:Vous cherchez quoi?(何を探してるんだ?)
と語気強く私に言ってきました。
え!?何!?と少し面食らいつつ、彼の目が尋常じゃない。
私:Non, rien(何にも)
と答えたら
Monsieur:gendarme! gendarme!(警察の様な組織)
と叫ばれてしまいました。
私:Non non monsieur! C’est pas grave! Je suis le partenaire de ○○○ et je viens de Paris avec elle!!!
(いや、問題ないよ!私は○○○のパートナーでパリから来ました!)
と言ってもそのムッシューは気が動転していたのか聞く耳持たず相変わらずgendarme!と叫んでいた。
困ったなぁと思っていた時にたまたま向かいの面識がある老夫婦が家の外にいて叫んでいるムッシューに「彼は大丈夫だよ!」と言ってくれたのでことなきを得ました。
パートナーのお母さんにこの話をしたら苦笑して、ある話をゆっくり話し始めました。
聞いたところこの田舎街でも最近アフリカ系やアラブ系の人たちがやって来て数週間前にとある家に押し入ったという事件があったみたいです。
その為か一人暮らしのパートナーのお母さんの家に怪しいアジア系の男が入っていったので「やばい!」となったのではないか?とのこと。

面識ある向かいのムッシューやお母さんからは「気分悪くしないでね。言葉悪く言えば皆んなで監視し合ってるみたいだけど、裏を返せば優しさでもあるんだよ」と。
パートナーは「気持ちは分かるけどこれは差別だよ!!!初対面だからって急に警察!はおかしいよ」と少し怒ってました。
私は全然何とも思っていませんでしたが、危うく警察沙汰になりそうでした笑😆
でも確かにパートナーが言うようにこれから悪事をはたらこうと思っている人間がゆっくり歩きながら笑顔で挨拶なんかするかな???とは思います笑
大都市だけでなく地方の田舎町も物騒になってきているのですね。。。
悲しい現実。。。
※小話
老夫婦のムッシューは私の事を覚えていてくれたのですが、奥様のマダムは覚えておらず、目があってから私が目のやり場に困るほどずっとーと私の顔を見て「T’es beau(かっこいいね)」と何度も言ってくれました😄
最後にbisouした時に「勉強も頑張りなさい」と言いながらハグもしてくれました🤭
Colombey-Les-Deux-Églisesに行ってきた①〜Colombeyの街編〜
皆さん、こんにちは!!!
久しぶりの投稿ですが、私は元気にやっています(^^)
さて、先週4月25日(金)~27日(日)までフランスは
Colombey-lés-deux-église
に行ってきました!!!!

この街について聞いたことがない方も多いと思いますが、
目的はそう!学生時代から大尊敬するフランスの英雄シャルル・ド・ゴール元大統領の終の棲家見学とお墓参りです!
実は私はここには一度コロナ前に来たことがあります。しかしその時はお墓や館の近くにあるmémorialを40分程見学しただけでした。。。
その時の投稿はこちら↓から。
如何せん場所が場所なので電車もなくパリからですらここに来るのは不便この上ない。なので今回はパートナーの運転でここまで連れてきてもらいました!😄
因みにパリから高速道路を使って3時間弱です!!!
10時40分頃パリを出発し、途中一回休憩を挟みつつ14h30頃到着。
向かう途中まで雨が降ったり止んだりの天気でしたが、高速を降りて一般道を進んでいた時に晴れ間が見えました。晴れ男の本領発揮です(*^-^*)
一体どこまで続くの???と思うほどの舗装された林道をひたすら真っすぐ走っていたのだが、車のナビが目的地まであと10分となった時に景色は一変した。
綺麗に整えられた畑が波打つように十重二十重と続き、その地平線の彼方先にある小高い丘の頂上に第二次世界大戦中レジスタンス運動の象徴であったロレーヌ十字(La croix de Lorraine)が目に入った。そこがColombey-Les-Deux-Églisesである。だが私は到着前に左右に広がるこの美しい田園風景にすっかり心奪われてしまった。カミュだったと思うが「フランスの一番の財産(価値だったかも)は田舎の風景だ」みたいなことを言っていた気がするが、同意である。留学最初の町ストラスブールへ向かうTGVの車窓からみた田園風景の美しさ、その感動を思い出した。
ー私の日記の抜粋
さて話を戻して。
私達が予約したのはホテル兼レストラン(昼だけ)↓で中心街にあったので便利でした!

私たちの部屋はホテルの受付の裏にあり、まさかのバンガローでした!!!
部屋はもちろん綺麗でしたが、ただこの街全体に言えるのですがWifi環境が全然良くないです笑

部屋で少しゆっくりしてから散策へ出かけました!
ホテルのカフェでホットチョコとコーヒーを飲みつつこの街の空気を体いっぱい吸う。

ホテルの目の前の広場↓。
人がいなくて本当に静か。
パリの喧騒の中で日々生活していて耳に入る車や人の談笑の声より小鳥のさえずりの方がよく聞こえるというこの状況は私に忘れかけていた何か人間として大事な感覚を思い出させてくれたようでした。

街に唯一ある教会↓です。
この教会の裏側にド・ゴール元大統領のお墓があります。

でもここで一つの疑問が。
町名にdeux-églises(2つの教会)とあるのでそれを探してみようとおもったのですが、街の中心地にある教会↑以外見当たらない。
そこでホテルに併設されているカフェの女性店員さんに尋ねたら「昔は確かに二つが隣り合わせにありました。でも今は個人所有の家になっています」とのことでした!
広場にあるド・ゴールに関するお土産屋さん↓です!
最終日に私たちはここで色々とグッツを購入しました笑

ド・ゴールが愛したフランスの美しい田園風景↓がどこを歩いていても目に入ります。

やはり日常の変わり映えのない生活から離れるためには読書だけで

街を歩いていて仲良くなった猫↓です!

このままドゴールのお墓や終の棲家、ドゴール記念館について投稿したいのですがそれだととても長くなってしまうので本日はここまで!!!
近いうちに第二弾として「ドゴールのお墓」、「ドゴールの終の棲家」について投稿します!こうご期待!!!
漢字が書けなくなった!?
2025年3月7日(金)午前10:10
滞在許可証を受け取りに行ってきました\(^o^)/
パリ市内在住者が申請・交付を受けるPréfecture de Police↓です!!!

受付で交付に必要な書類の確認を受けた後、番号札を貰って交付窓口へ。私の番号は129で、私が入室した時は98番の人を対応していた。窓口は13あってそのうちざっと見たところ10は開いていた様に思う。

待ちながら周りにいた人たちの人間観察。
様々な国籍の人がいて、例えば
①携帯の充電をどうしてもしたくてコンセント近くの席に座っている人にかわってもらえる様に交渉する中国人男性。
②自分の番号は145番なのに「自分の番号をもっと早い番号に変えてくれ!」と無理なわがままを言うアフリカ人女性。
③まだ窓口へ入らないで外で待って下さい!と言われているのにこっそり入ってきて注意されたら「何でだ!俺1人くらい良いだろ!」と逆ギレする中東系男性。
こういう人らに比べたら日本人が大人しいって言われるのがよく分かる笑
わがままはともかく携帯の充電位家でするし笑

私は10:10の予約で10:45に交付を受けたので予想よりスムーズだった。
これで少し落ち着いてフランスに滞在出来る。
さて、ここからが題名回収の話!!!
その後、私はパスポートの更新をする為に在フランス日本国大使館へ行った。
セキュリティチェックを受け入館すると中には日本人が数人とフランス人が4,5人待っていた。
私はパスポートの更新をしたい旨を伝えて申請書に記入していたのだが、
そこで不思議な事に気が付く。
漢字が思うように書けない。。。いや、手が動かない。。。
人生で一番書いてきたであろう自分の氏名を書きながらその余りにも酷い不格好な形に驚いてしまった。
本籍地(宮城県)や父の名前を書くのも容易なことではない。
何とか書いて窓口の女性に渡したら、
すみません、お名前の字が判別出来ないのと、ここの部分が記入欄から少しはみ出ているので受け取れません。申請書は修正が出来ないのです。もう一度書き直して下さい
と言われてしまった😅
私は元々字が無茶苦茶汚くて、これは学生時代から変わらなかった。ただ、漢字を書くのに違和感があるというのは初めてだった。
確かにフランスにいるので漢字を書く機会はほぼない。日本の家族や友人への連絡も電話かLINEだしパートナーとはフランス語で会話しているから余計。
一応漢字検定準1級を持っているのだけど最近かなり忘れてしまった。
レストランで補充リストを作る時に「容器」の「容」がどうしても思い出せず「よう器」と書いて提出したら「お前本当に大学出てるのか???」と言われてしまった笑
そう言えば今年に入って日本語の本はまだ1冊も読んでいない。
何とも不思議な感覚だった。
変なおばさんに絡まれた話in Paris
2月11日(火)午後17時半頃
この日はバカンス前の最後のベビーシッターの日で、振替休日で休みだったパートナーも気分転換がてら私と一緒だった。
シッターの子をいつもとは違う13区のセーヌ川沿いにあるプールへ連れて行き、プールの先生に引き渡した後私たちは帰路についた。
送って行ったプールから少し歩いたところにパリメトロ14号線 Bibliothèque François Mitterrand駅があったのでそこへ向けて歩いていた。
プールから10分弱歩いて駅前の通りに出て駅方面に向かって歩いていた時、後ろの方で凄い大声で話している女性が近付いて来るのが分かった。
最初は電話でもしているのか???と思ったのだが、近付いて来るにしたがって言っている内容が鮮明となりそれが余りにも人様に言えるような内容ではなかった。
マクロンのクソ野郎!!!!
マクロン支持者も全員4ねばいい!!!
野党もクソだ!!!
ジャーナリズムも崩壊している!!!
移民何て56せばいい!!!
こんなこと大声で話している時点で酔っ払いか、薬をやっているか、それとも。。。
でも酔っ払いにしては活舌がいいし声もクリア。
気になって私は後ろを振り向いたらなんと、その女性と目が合ってしまった。
彼女は恐らく40代半ばくらいで、黒縁の眼鏡をかけ、服もこぎれいな恰好をしていてパッと見た感じそこまで変な人とは思えなかった。
ただ目が合った瞬間、
女性:Putain Chinois(クソ、中国人)!!!私が言っていることが間違ってるっていいたいの?なぁ、おい!!
私は無視しようとパートナーに「もうすぐ駅だからこのまま無視して行こう」と言ってそのまま歩いたが、その女性は早歩きで私たちのすぐ横まで来てしまった。
女性:おい、なんか言えよ!口ついてるんだろ!お前のそのすかした態度がマクロンみたいで鼻につくんだよ!おい、中国人。早く国に帰れよ!私がお前を国に送ってやろうか?
(内心爆笑していたのだが)あくまで無視し続ける私にシビレを切らしたのか、その女性は突然私の肩でも掴もうとしたのか手を出してきた。
そしたら見かねたパートナーが突然切り返した。
パートナー:私の夫に触るな!!!さっきからあなたマクロン、マクロンってうるさいんだよ、大して物しらないくせに!!!残念ながら私は彼の支持者だし、しかも夫は中国人じゃなくて日本人よ!!!なんか文句ある???
とその女性に負けない位の声で言い返したのでそれにこっちが面食らってしまった笑
その女性は言い返されたことに驚いた感じだったが、私たちに眼飛ばしてその後振り返って腰を振るジェスチャーを交えながら「今晩2人でよろしくやるんだろ!」と言っていた。そして車が来ているのも無視して道路を横断し、渡った先でもでっかい声で喚いていた。
因みに道路横断中車にクラクションを鳴らされて逆切れしていた。
駅に着いて私はパートナーに、
私:あーいう人らはこっちが丁寧に説明をしたって話の通じるような人間じゃないんだから相手にしなくていいんだよ。
パートナー:だって、あなたが中国人って言われるのが許せないからさ。
えっ、そこなの???笑
と笑っちゃいました。
何か最近変な人をよく見かけます。
人によって安全の基準は違いますが、パリにお越しの際は変人・スリには本当にお気をつけて。
【おまけ】
私が送って行ったプールです!
小さいですが明るく雰囲気のいいプールでした!!

久しぶりの投稿!
遅ればせながら、
2025年明けましておめでとうございます⛩🎍🌅
しかも2月に入ってから今年初投稿という笑
2024年は皆さんにとってどのような年でしたか?
パリオリンピックもあり社会的にも個人的にも何となく地に足がついてないフワフワした感じがありましたが、私は新たな「挑戦」をした年でした。
挑戦といっても色んな意味があるかと思いますが、私にとっては2つの意味合いを持ったものとなりました。
まず最初の意味合いとしては10年以上離れていた英語学習を再開したことと、今までやったことのないバイトを始めたことです。
英語学習については10ヶ月程自学学習をし先月から本格的にオンラインレッスンを開始しました。
こちらは少しずつ感覚を取り戻しつつあり、フランス語との類似点や相違点などに向き合いながら進めています。今年の目標は英語もフランス語と同じレベル(C1)まで持っていきたいと思っています。
アルバイトに関しては8歳の女の子を通して子供との接し方だけでなく、その子の話を通してフランスの学校の授業の話や多国籍なクラスメイトなど中々面白いなぁとこちらも学ばせてもらっています。
ちょっと生意気でもやっぱり子供は純粋で可愛いです。
2つ目の意味合いは自分の中に抱いていた政治に対する価値観への「挑戦」です。
結論から言うと現在私は政治に対しての熱が以前ほど強くありません。もちろん政治は私から切り離せないものであるのは変わりなく、将来恐らくまた関わるだろうと思うのですが、日本での学生時代から社会人経験を経て培ってきた自分の政治観。個別具体的な政策もそうですが自分でも引くくらい強いその想いを修正しなければならないと思いました。
日本に限らずフランスの政治状況もドタバタしてますが、数ヶ月前の投稿にも書いたとおりとりあえず今は政治からいい距離を保ちつつ自分の語学学習と社会勉強を進めていこうと思います。
こんな私ですが今年もどうぞ宜しくお願いします🙇♂️
2025年。
みなさんはどんな年にしたいですか?
【おまけ】
写真は先週セーヌ川沿いを散歩した時に撮った物です!!!

