フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

Conciergerieに行ってきた①

4月30日(火)

 

5月1日のメーデーに合わせて仕事が休みだったパートナーとパリはシテ島にある

 

Conciergerie de Paris

 

に行って来ました!!!

因みにここは世界遺産です(*^_^*)
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住所:2 boulevard du Palais, 75001 Paris

 

開館時間:月~日 9時30分~18時

 

休館日:5月1日、12月25日(※7月26日はオリンピック開会式なので終日休館)

 

料金:大人 13€(※Sainte-Chapelleとの共通券は20€

  無料:①18歳未満

    ②18~25歳の欧州連合諸国の居住民

    ③身体障碍者とその同伴者

    ④1月、2月、3月、11月の第一日曜日

他にも求職者の方にも条件が合えば無料になるみたいです。

 

予約:HPから予約可能。予約は絶対ではありませんが、もし隣のSainte-Chapelle

も一緒に見学されたいなら予約はした方がいいと思います。

     

他の詳しい情報はこちらのHP↓をご覧ください!!!

Bienvenue à la Conciergerie (paris-conciergerie.fr)

 

 

1つの記事にまとめるととても長くなってしまうのでConciergerieについての投稿は2つに分け、この記事では基本情報と見学スペースの1階部分の説明を投稿します。

 

Conciergerieってどんなところ???

ここは王の宮殿牢獄だった場所で、その起源は6世紀まで遡れます。

フランク族の王クロヴィスがシテ島に王の住居として定めたところから歴史は始まり、5世紀の後カペー朝最初の王カペーが国王参事院と役所を置きここが王権を司る場となりました。

そして14世紀にはフィリップ4世がパリ高等法院を置き、またシャルル5世の時代に司法業務の強化と牢獄が整備されました。

因みにConciergerieというのはシャルル5世の時代に特権を得てここの管理を任されていた人たちの事でそれがそのまま建物の呼称となりました。

そしてフランス革命期には革命裁判所が設置され犯罪者の主な拘留場所となりました。

 

ここが有名な理由としてその歴史の長さや世界遺産だからという理由だけでなく、フランス革命期にあのマリー=アントワネットが投獄されていたからというものあります。

彼女が収監されていた部屋が当時のまま残されていたり、彼女が実際に使っていた物もいくつか展示されています。

 

難しい話はこれくらいにして、

当日の流れを追ってみましょう!!!

 

入口↓です!

私たちは14時30分の予約でオンラインチケットを取りましたが20分早く到着しましたが中に入れてくれました。

マルチメディア・ツールを借りるとよりここの事が理解できると思います!
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衛兵の間

受付を降りるとすぐに衛兵の間があります。ここは1302年にフィリップ4世統治下に建築されたゴシック建築の代表的な場所です。その名の通り衛兵の食堂として使われていました。
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衛兵の間の一番奥の壁にあったアート???笑

エコール・アルザシエンヌの生徒たちによるものみたいです。f:id:MasaFra:20240501021918j:image

 

厨房

善良王ジャン2世(1350年~1364年)統治下に建設された王室の使用人のための食事が作られていた場所。食料は直接船で運ばれていました。
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警備の間

上階にあった大広間への控えの間として使われていた場所。現在大広間は現存していないらしいのですが、アンシャン・レジーム時代にはここに高等法院が置かれ、王自らが「親裁(自らの権威を示すために王が裁決を下すこと)」を行いました。そして1793年には革命裁判所として使われていました。
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警備の間の壁に掲げてあった絵
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パリ通り

この場所はかつて衛兵の間の一部でしたが後に隔離されます。

この名は「死刑執行人」ムッシュー・ド・パリから。

現在はお土産屋さんがあります!私はここでOlympe de Gougesの演説集を購入しました。
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パリ通の奥にはフランス革命期に使われた部屋やマリー=アントワネットが使っていた監獄が残る展示が続きます!その入口↓です。
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フランス革命とパリ

1789年から1799年の革命期の歴史や当時のパリの様子に関する展示がありました。

フランス革命は歴史で学ぶように社会体制だけでなく人間の地位の在り方を根本から変える大事件だったことがとても深く学べます。

展示はフランス語と英語併記です。
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フランス革命とConciergerie

部屋が狭くまた他の訪問者がたくさんいたので写真がうまく撮れませんでした(-_-;)

ですが、その名の通りフランス革命期のここの役割と様子が展示のパネルから学べます。第一共和政府は共和政府を脅かす「反革命容疑者」を片っ端からここに送り込んだためすぐに一杯になったらしいです。私が驚いたのは囚人の財政状況によって監禁条件が違ったという模型を見たことでした。パイユー(わら族)と呼ばれた際貧困層の囚人は藁が敷かれた雑居房で過ごしたのに対して、裕福な囚人は結構快適に過ごしていたみたいですね。
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囚人の廊下

この写真一番左には囚人を登録する裁判所書記の小室、中央が牢獄所長の事務室、そして右手前が収監前に囚人を断髪させた部屋が残っています。
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本日の投稿は以上です!!!

次の投稿では革命の部屋の二階部分とマリー=アントワネットが収監されていた部屋などを投稿しようと思います!!!