皆さん、こんにちは!
ストラスブールは朝晩-1〜-2とかなり冷え込んで来ました❄️🥶
来週から2週間強の期末試験なのですが、ずっとオンライン授業のせいか何とも試験という気が全く起きず、オンライン授業のデメリットの1つ「モチベーションの維持」の難しさを身をもって体験してます。
さて、本日はフランスの国歌「La Marseillaise (ラ・マルセイエーズ)」がストラスブールとちょっとした繋がりがあったという話を投稿しようと思います😊
フランス史(フランス革命)の期末試験の復習をしている時に知りました!
La Marseillaiseとは??
世界で有名な国歌TOP5に入るのでないかと思われるフランスの国歌、ラ・マルセイエーズはフランス革命時の革命歌で、マルセイユ義勇兵が隊歌としてパリで歌っていたことから広まりました。
訳すと「マルセイユの人々」となりますが、日本ではその過激な歌詞が有名かと思います。
加えて、Beatles「All You Need Is Love」のイントロでも使われてますね😊
参考までに、一番の歌詞↓を載せます!
Allons enfants de la Patrie
(行こう、祖国の子供たち)
Le jour de gloire est arrivé
(栄光の日が来た)
Contre nous de la tyrannie
(我々に対して、専制の)
L'étendard sanglant est levé
(血に染まった旗が掲げられた)
L'étendard sanglant est levé
(血に染まった旗が掲げられた)
Entendez-vous dans les campagnes
(聞こえるか、戦場の)
Mugir ces féroces soldats
(凶暴な兵士たちの咆哮を)
Ils viennent jusque dans vos bras
(奴らは我々の腕の中までやってくる)←我々の側まででもいいのかな?
Égorger vos fils, vos compagnes
(我々の息子や妻の喉を掻っ切りに)
Aux armes citoyens
(武器を取れ、市民たちよ)
Formez vos bataillons
(隊列を組め)
Marchons Marchons
(進もう 進もう)
Qu'un sang impur
(穢れた血が)
Abreuve nos sillons
(我々の畑の畝を濡らさんことを)
訳-風来坊
改めて見ても、血とか喉を掻っ切るとか凄いですよね笑
話を戻して、
時はフランス革命後の立憲王政時代の1792年4月、フランス政府はオーストリア大公国へ宣戦布告をします。この時ストラスブールのライン方面軍に配属されていたのが作詞・作曲を手掛けたClaude Joseph Rouget de Lisle(クロード・ジョセフ・ルージェ・ド・リール)大尉です。
そして、当時の初代ストラスブール市長Philipp Friedrich Freiherr von Dietrich(フィリップ・フレデリック・ド・ディートリヒ)が方面軍の士気高揚のための行進曲の作成をリール大尉に要望します。
そして一晩で出来上がったのが「Chant de guerre pour l'armée du Rhin(ライン軍のための軍歌)」、のちのラ・マルセイエーズです。
これを聞いたディートリヒ市長は大喜びだったといいます。
そしてこの曲はフランスで徐々に知れ渡っていき、1792年8月のチュイルリー宮襲撃事件(8月10日事件)の数週間前にパリ入城をしたマルセイユ義勇兵達が歌っていたのをパリ市民が聞き、その間で大流行したというのが起源なのです(^^)
その後いくつかの変遷はありましたが、第四共和制と現在の第五共和制の憲法にはしっかり国歌はラ・マルセイエーズと書かれています。
つまり、現在の国歌が作られた場所と作曲をお願いした人がいた場所がストラスブールだったのです!!
マルセイユの「人」によって広められましたが、作られた「場」を主とすれば「ストラスブールの~」みたいな国歌になっていた可能性があるのです笑
因みに作曲を要望したディートリヒ市長はその後、上記の8月10日事件を抗議した廉で捕らえられ処刑されています。
フランス革命からナポレオン登場までの14.5年間って外国人の私が見ても、フランス政治とフランス社会が混乱していたのがよく分かります。
以上、ラ・マルセイエーズとストラスブールの繋がりについてでした!
私は日本史選択だったのでフランス史については勉強中です。。なのでともに勉強できる方募集中です( ´艸`)