フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

本棚26 『Le Prince』Nicolas Machiavel

久しぶりの本紹介。

今回紹介するのはイタリアのルネサンス期に活躍したイタリアの政治家、政治思想家マキャベリ

 

Le Prince君主論

 

amzn.eu

 

日本語版はこちら↓から。私が大学生の時に読んだもの。

 

 

今回も中々の長文です。

 

君主論との出会い

 

今回はフランス語で読みましたが、実は大学1回生の時に政治学科の学生なら読むべき本とある授業で紹介されていたので読んで以来だった。実に13年ぶり。

当時は馴染みのないイタリアの地名や戦争の具体例が多いのと、言葉がいちいち猛々しいなぁという印象しか持てず、正直彼の死後500年近く経ってもなお読み継がれている理由がよくわからなかった。

 

でも今回はフランス語でゆっくり読み、色々と発見したことがあったので内容をまとめつつ感想を書こうと思う。

 

内容① ~前半部分~

本著は26章で構成されている。ザっと、

・前半:1~14章(君主政体の種類と軍について)

・後半:15~26章(君主に必要な能力について)

 

こんな感じかと思われる。

 

内容に行く前に本著の内容を一言で表すと、

君主が維持すべき権力の在り方を客観的かつ合理的に論じた本

と言える。

 

また君主論を読む中で重要な2つのキーワードがある。それは、

力量(Vaillance)→能力の様なその人が本来持つ資質。突然やってくる運命を活かすのに必要

運命(Fortune)→人の力では変えられない物

※フランス語での表記。

 

正直前半部分に関しては現代人が読んでも馴染みがある内容ではない。

なぜなら、世襲による君主政体と新興の君主政体など政体の種類の説明と同時に例えば新興の君主が風習の似ている地域を獲得しそれを保持するためには、古い君主の血筋を抹消しそして住民たちの法律も税制も変えない事、など君主が政体保持のためにすべき方法論が書かれているから。今の時代に個人が軍備を持って隣国を攻めるなんてことはありえない。

 

ただ個人的に12章(軍隊にはどれほどの種類があるか、また傭兵について)と13章(援軍、混成軍そして自軍について)は今の日本をマキャベリが「おい日本、大丈夫か?日本人全員がこの章を読むべきだ!」と言っているような印象を受けた。

簡単に記しておくと、軍には①自軍(臣民、市民、養成者など)、②傭兵軍、③援軍、④混成軍があり、そのうち②と③に関してはイタリアの歴史をみても分かるように全くあてにしてはならないしまたそれをあてにしてはならない。また④の混成軍も②と③に比べたらマシなだけで自己の軍備を持たなければいかなる君主政体も安泰ではないと。「自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定な物はない」という記述は、まさに戦後安全保障政策・防衛政策を過度に米軍に依存してきた日本に当てはまらないか?少しずつ変わりつつあるが日本人もう少し世界の現実を見ようよ、いや歴史からもっと学ぼうと思った。

 

内容② ~後半部分~

後半部分は君主のあるべき姿が書かれていて、この部分は政治分野だけでなく他分野にも汎用性が高いと思う。

 

理想的な君主には、

けちん坊であること(16章)

→ケチというとマイナスイメージがあるがこれは換言すれば金の使い方を知っている、つまり無駄なことに金を使わないということ。気前がいいことは長く続かないし気前よく振舞えなくなった時、人からの評価は必然的に下がる。下の下は気前よく振る舞うために市民や臣民の財産、また彼らの婦女子に手を出すこと。

 

恐れられること(17章)

→人間は一般的に恩知らずで、移り気で、とぼけたり隠し立てをするので危機が迫った時にはすぐに逃げ出す。反対に恐怖は君主から離れない処罰の恐ろしさによってつなぎとめることが出来る。人々が君主を慕うということは彼らの好み、意向であるが人々が恐れるということは君主次第、つまりこちらに理由がある。君主はいかなる時も自己に属するものに拠って立つべきで他者に属するものに拠って立つべきではない。

 

侮られないこと(19章)

→侮られる理由は、一貫しない態度、軽薄で、女々しくて、意気地なしで優柔不断な態度をとるときである。侮られないためには君主の行動が偉大であり、勇気に溢れ、重厚で、そして断固たるものであると市民、臣民に認められるように常に努めなければならない。

 

憎まれないこと(19章)

→①のけちん坊で説明したことと被るが、他人の物に手を出さないことが重要。ただここで注意すべきは、憎しみを招く原因がなにも上記の悪行だけからというわけではなく、セウェールス・アレクサンデル皇帝の例があるように善行からも邪推され憎しみが起こりうるということは肝に銘じておかなければならない。

 

尊敬されること(21章)

→君主は自己の行動の1つ1つにおいて自分が偉大な人間であり、卓越した才能の持ち主であることを世に知らしめる必要がある。また、自分が力量の愛好者であり力量ある人を厚遇し、そういった人たちを称賛することによって人々から尊敬される。

 

の5つの資質が必要である。

もちろんこれらの資質をすべて備えている事に越したことないが、持っていなくてもそう見せかけることも重要である(18章)。

 

ただ、人間は他者からの評価を気にする生き物でまた人は形(結果)だけをみて評価するから君主は他人の評価を気にせず結果を出すことだけに集中すべきである(16章、18章)。

 

その他

・君主の秘書官(取り巻き)を見ると君主の能力が分かる。なので君主は自己の利益を追求する秘書官を信用してはならず、常に君主への恩義を深めさせ、多くの地位と仕事を与え、君主がいなければ自分の存在理由がないことを気付かせることに配慮しなければならない(22章)。

 

・良い助言とは誰から発せられても必ず君主の思慮の内に生まれるのであって、良き助言から君主の思慮が生まれるわけではない。なので君主は一部の賢い取り巻きだけに自分の問いかけをしその問いかけのみ答えさせ、彼らの意見に耳を傾けていると思わせつつ最後は自分で決断しなければならない(23章)。

 

・イタリアの君主たちが政体を失ったのは、軍備にまつわる欠陥と民衆を敵にした(もしくは貴族たちの心を掴めなかった)から。秀でた防衛、確かな防衛、永続的な防衛は君主自身の力に拠ったもので、また君主の力量に依存する(24章)。

 

・運命は時代を変えられるのに、人は自分の様式にこだわるから2つが合致している時はいいとして、そうでなくなると不運になる。つまり、この世の半分は運命が関わっているが、残りは自分たちの性質を果敢に変えていくことで変えられる(25章)。

 

 

個人的な感想

君主論という題であってもその「君主」の部分を「政治家」や「会社経営者」と置き換えても読むことができるある意味自己啓発本としての内容から、現在でも本著作が世界中で多くの人に読まれ続けていると理解できる。

マキャベリは冷徹なまでのリアリスト(現実主義者)。キリスト教の影響力が現在よりも強かった当時のヨーロッパで彼がしたような道徳から離れて現実に即した分析は恐らく異端だったろうと思う。

 

と言いつつ、性悪説から立脚した彼の人間観や権力に対する論理、分析は私としては全面的に納得のいくものではなかった。人間には私利私欲を越えた何か目に見えない力を発揮する時もあるだろうし、彼がこの本の中でいう人間の特徴以外の人間もいるだろうと期待したい自分がいたのも事実だった。人間だって捨てたもんじゃないよと。

 

ただ今回全体を通して、私はマキャベリが自らの力量を発揮することなくまた磨くことすらなく、反対に他者運命に身を任せる姿勢にかなり批判的であると理解した。彼が生きていた当時のイタリア、故郷のフィレンツェの状況がそうさせたのだろう。

実は政治学を学んでいる私の根底にはこの思想(ドゴール主義に通じるもの)がある。何かに依存している状態に慣れ切っている人間、私が最も嫌いな人間だ。

 

それは何も国家規模だけの話ではなく、地方自治を勉強していても国に頼ってばかり(地方交付税目当て)の自治体を見ると悲しくなる。特に埼玉県の地元!!!もう少し自立しようよって、知恵だそうよって。

 

最後に、目的のためなら手段をえらばないマキャベリズムという言葉について。

確かに「君主は慈悲深く冷酷ではないという評判を得たいと考えるが、臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば冷酷という悪評を気にする必要はない」(17章)など書かれている。ただ上記後半部分の君主が必要な5つの資質はある意味当たり前の話であるし、彼自身も冷酷なことを必ずしろ!と言っているわけではない。

言葉の定義付けって一面的に理解するのにはいいけどそれで全て分かった気にならないように気を付けようと思った。