2023年最初に読んで、皆さんに紹介する本は、
です!!!
中々重たいですよね笑
※かなり長文です。お許しください!!!
何故この本を読んだのか???
先月頭にフランスの英雄シャルル・ド・ゴールについて彼の事を「あんたはファシストだ!!!」と当時批判していたある記事を読んだからだ。
国家主義的で、フランス第一の国益追及を目指したドゴールは確かに反対者からはその政治手法は強権的に思えたのだろうが、なぜファシストなのか?という疑問が浮かんだ。
そこで私はファシズムに関して、またその創始者であるムッソリーニについて表面的な事しか知らないと改めて認識した。
なのでちょうど日本に一時帰国していたのを利用して、まずは日本語で彼について知ろうと思ったのだ。
著者について
著者の木村氏は1926年群馬県出身。東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、毎日新聞のローマ特派員、編集委員を経て東京外大講師や在イタリア日本大使館広報文化担当官を歴任され2007年亡くなりました。
本著で書かれているのだが、著者はイタリアとの出会いは少年時代にあったという。学校が連れて行ってくれた映画のニュースフィルムでムッソリーニが演説している姿を見て、またその映画の中で出てきたナポリ、ヴェネチィアなどの農村の美しさにすっかり魅了されたという。そこからNHKラジオでイタリア便りを聞き、その時流れていたファシスト党歌「青春」を口ずさんではイタリアへの憧れを募らせた。
ただ断っておくと著者はファシストではない。彼がイタリアと出会った当時の時代背景がそうであっただけだ。本著ではあくまでも中立な視点でムッソリーニを論じている。
内容について
彼の生い立ちから当時のイタリアの社会状況がしっかり書かれている。イタリアの専門家ではない私でもムッソリーニ以前のイタリア史を説明してくれているのでそのあたりの事を理解しながら読み進めることができた。
イタリアが統一され近代国家としてその産声を上げたのが1861年。それ以前は中世以来都市国家が乱立し、オーストリア、フランス、スペインに領土が分断され「イタリアとは単に地理的な名称にすぎない」とプロイセンのある政治家に言われてしまうくらいの状態だった。
統一後も都市国家的な要素が強くまた、イタリア北部と南部の地域格差が拡がっていた時代の1883年7月ムッソリーニは誕生した。
子供時代から成績優秀で父譲りの雄弁さがあった。ただ彼は学校の問題児でもあった。学校に対してハンストを起こし、その際貴族の子弟をナイフで切りつける事件を起こし退校処分になる。その後教師を目指しフォルリンポポリ高等師範学校に入学し首席で卒業し教員免許を取得した。が、彼は中々職を見つけることが出来なかった。そこで思い立ってスイスに行きそこで社会主義者や無政府主義者、革命家と交流し世の中の格差を打倒するために「暴力こそが正義だ!」という考えに至る。私はこの時代がムッソリーニの思想形成の時期であったとみている。
(当時の行き来等は省略する)イタリア帰国後は、小さな新聞社の編集や社会党員としての活動を劇化させていき、ついには社会党機関紙「アヴァンティ」の編集長に就任する。彼の書く記事は当時人気を博したという。
ただ1914年から始まった第一次世界大戦について当初の「中立」から「参戦」へと意見を変えたことで解任されここで仲間の募り「革命行動ファッシ」というファシズムの核となる組織をつくる。
また戦争に応召兵として参加し、戦傷兵として帰国する。その後は皆さんお分かりのごとく社会党政権への社会的反発と自らが政権を取るべくファシスト党を結成し1922年から1943年までイタリア政治を掌握する。
しかし当初は中立を唱えていたのだが途中からドイツのヒトラーと手を組み敗北。最後はミラノのロレート広場で愛人と共に吊るされる。
※本著を読むとナチス・ドイツとイタリアはうまく連携が取れておらず、ドイツの勝手気ままな行動に辟易しているイタリア・ムッソリーニの姿を見て取れる。
政治の世界においては人や国家を表面的な理解で信用してはいけないということを学んだ。
個人的な感想
最初に言っておくと私はファシストではない。「国家を離れていかなる個人も団体(政党、組合、階級)もない」という考えは私も同じだが、「国家とは一国民の多数を形成する個人の総数ではない。それゆえファシズムは多数者に基づく民主主義を反対する」という部分に私は反対だからだ。なぜなら国民を量ではなく質で捉え、国民の中から唯一の指導者的人間の意志と意識が全ての物の意識と意志の中に遂行される観念となるから。つまり国家が人間を創造することになる。
ムッソリーニは若い頃から労働争議や演説会があると顔を出し民衆を扇動していたような人で、また彼に多大な影響を与えたのはニーチェやフランスの社会理論家ソレルであったという。正直私は(暴力)革命という思想が好きではない。なので日本の幕末における薩長によって行われた(革命的な)明治維新も好きではない。
ただ政府が民衆の生活を全くよくできない、ばかりか格差が拡がり続けることに何の対応もできない事への不満から暴力を通して政府打倒を目指すという思想があることはもちろん理解する。
※日本にも上記の様な政治組織(極左暴力集団)や左系知識人は多くいるが、彼らは暴力・革命のその先にどのような社会を目指すのかの考え、思想がないので私は全く支持しない。反対に支持する支持しないはともかくムッソリーニには彼なりの思想、国家観があったように思う。だからこそ20年以上も国を治めることができた。
新自由主義やグローバリズムによって社会の歪は大きくなっていく一方だ。そんな中だからこそ(ネオ)ファシズムが一部の人たちから求められるというのもわかる。
著者である木村氏も今後もムッソリーニへの賛否は続くと書かれている。それはすなわちファシズムの賛否と同じだと。
ただ高等師範学校を卒業し政治学に通じただけでなくイタリア語、ドイツ語、フランス語、英語を話せた教養人で、また自ら私腹を肥やすことに一切興味なく(彼の死後遺族には彼の僅かな年金しか残されていなかったという)、お金に困って彼を頼ってきた人には惜しむことなくお金を恵んだという。彼の暴力的な政治手法からは想像もできない人間臭いエピソードを残している人物でもある。
政治的、社会的な成果だけでなくこの人間・ムッソリーニ的な部分が今でもイタリアで人気のある要素なのかもしれない。
ムッソリーニの最初の「ム」という言葉を聞いただけで、またファシズムの「ファ」という言葉を聞いただけで拒否反応を起こすような人にならない様、私のブログを読んでくださる方々にはお願いしたい。