フランス留学生の日記

時々更新!フランスでの日々を投稿しまーす!

政治との出逢い

皆さん、こんにちは!!!

新年に入っても初日からフランス語の論文↓と格闘しております!😆

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文章を読むスピードも最近グーンと速くなり、読書や論文を読むことが以前より楽しくなってきました😊

※論文はカール・マルクスの『La guerre civile en France 』です。

 

さて、本日は私と政治の出逢いを投稿したいと思います^ ^

大学で政治学(国際政治学のゼミ)、卒業後は宮城県で公務員、自民党衆議院議員秘書(1年大臣秘書)と行政・立法の現場で働いて来た私は根っからの政治人間と友人には言われます。

本棚の本も歴史系、政治経済系の本で埋まってます。

そんな私と政治の出逢いを振り返りたいと思います。

 

政治との出逢いは小学校2年生まで遡ります。埼玉県北部出身(本籍地は宮城県大崎市)の私は7月の縁日になると母の出身地であるさいたま市中央区(旧与野市)のお祭りに両親や従兄弟達と行っていました。通りを埋め尽くす屋台や、若い男達が声を上げて担いでくる大きな神輿は今でも鮮明に覚えています。

 

で、小学校2年生の縁日で、母と祖母の妹(私からすると大叔母)と通りを歩いていました。すると、大叔母が知り合いの男性と少し立ち話をし始めたのですが、突然その男性が私の身長に屈んで、

 

君のおじいちゃんにはお世話になってねぇ。本当に立派な人だったんだよ

 

と顔をくしゃくしゃにして笑いながら頭を撫でてくれました。私はなんのこっちゃ分からずその日はそのまま家に帰りました。

 

でも、何の話なのか気になった私は一緒に住んでいた祖母に上記の話をした所、祖母の兄(私からみれば祖父ではなく大叔父)が戦後与野市市議会議員をしていたというのです。その後市長選に立候補しようと思ったらしいのですが、当時同じ社会党所属の鳥三氏(その後市長を6期務めた名市長で、さいたま市名誉市民)にその座を譲り、白鳥氏の片腕として与野市発展に尽くしました。因みに祖母の一族は今でもさいたま市で市議会議員をしていたり中央区区長をしていました。

この話を聞いた時に縁日で私の頭を撫でてくれたおじいさんを思い出し「政治は町の発展だけではなく、あのおじいさんの様に人を笑顔にする事も出来るのか!」とそこから政治の虜になりました。

※反対に父方一族は国家公務員や地方公務員なのでかなりお堅い家系です。政治の様なある意味博打に近い世界とは関わらない感じです。もちろん皆さん政治には関心はありますが。

 

とはいえ祖父母は選挙の手伝いをしたり(させられた?笑)して本当に大変だったという話をしていました。今と違ってお金の飛び交う壮絶な選挙でしたでしょうからそれは心中お察しします😆

 

でも祖母とはその後よく祖母の実家の話や議員だった大叔父の話、土屋義彦元埼玉県知事の話など政治の話をたくさんしました。祖母は「本当に大変だった、お前はあの世界に行かせない!」と言ってはいたものの根は政治が好きだった様な気がします。

 

実際に私が政治家の秘書になる事を伝えた時「大変だろうけど、一生懸命頑張りなさい」と言ってくれました。

 

その後関心は専ら日本史や文学に移り、野球で体力を鍛えながらその先に拡がる政治の世界に想いを馳せていました。大学で政治学を学び、学問としての政治をある程度習得しましたが現地で働いてみて今度は世界から日本社会・日本政治を見たいと思い、現在はフランスにいます。

 

やはりこちらから見る日本政治は奇異に映る事が多くありますが、恐らくそれは日本にいては「これが日本だから」と流してしまったでしょう。

「でも‼️‼️」という視点を持つために日本から離れるというのはいい選択だったと思います。

 

以上、私と政治の出逢いについてでした!

これから少しずつ政治に関して考えをまとめていこうと思っているのでその最初として私と政治の出逢いを振り返ってみました!