私は2022年11月14日(月)にPACS(パックス)をしました。
パックスについてはこちらの投稿↓をご覧いただくとして、
本日は私たちがパックスをするまでを投稿しようと思う。
フランス語版の投稿↓はこちら。
私たちの出会いはとあるオンラインの語学学習サイト(今は閉鎖)で、私はフランス語学習者、彼女は日本語学習者ということでSkypeでお互いに教えあっていた。
ちょうどコロナで3回目のロックダウン(都市封鎖)ということもあり毎日狂ったように朝から晩まで話していた。私は授業をさぼって彼女とチャットをする日もあった。
彼女は日本文化、特に侍や明治時代以降の日本文学に関心があった。私は学生時代に近代日本文学の著作は読んでいたのと日本の歴史は子供の頃から大好きだったので教えたり、話すことが出来た。
反対に私はフランス文学に関心があり、彼女も文学が好きで特にヴォルテールとカミュが大好きということで色々と教えてもらった。
またその間、私の大学出願に際してCV(履歴書)やLettre de motivation(志望動機書)の添削をしてもらい彼女のお陰で殆どの大学から入学が認められた(パリ第13大学からはあなたの志望動機書は素晴らしいという言葉付だった)。
私が日本に夏のヴァカンスを利用して一時帰国した際も時差を気にすることなく毎日連絡を取っていた。
そして私がパリ第10大学L3に入学した後、カリキュラムの変更で悩んでいた時にもずっと相談にのってもらった。結局彼女も同じことを言っていたのだが、大学の教授から大学を辞めて他の大学に移るか、他の科に移る方がいいということで休学することになった。そして、なら一緒にトゥールーズで生活しよう!!!ということで思い切ってパリから引っ越しすることにした。
パックス後に行ったイタリアンレストラン↓です!!!
一緒に住んで二人の間にある文化・言語・年齢の壁を超えることが出来るかどうかじっくり勉強しながら見極めようということで現在まで1年以上生活してきた。
その間パックスというより結婚に関して6月位からお互いに話をしていて、とりあえず今年の冬、日本に一緒に行って私の両親に会ってからしようと決めていた。
ただここで問題発生。
10月初旬、私が今回登録していた大学では学生ビザの更新は認められないとのメッセージを県庁から受け取ったのだ。青天の霹靂とはまさにこのことを言うのだなぁと思いながら、フランスに滞在するためにどうしようか?と悩んでいた。
フランスでの学業を終えずに日本へ帰るという選択肢は全くなかったし今もない。
その時色々とお互いに話し合ってこの際パックスをしよう!となった。
正直パックスは日本でいう「事実婚」と言われるように、私からするとどうも軽く思えてしまい、日本男児たるものちゃんと結婚した方がいいのでは???と思っていた。ただパックスするにしても結婚するにしても私たちのお互いの気持ちに違いはなかった。
私たちが大好きなフランス人作家Saint-Exupéry(サン=テグジュペリ)の
Aimer, ce n'est pas se regarder l'un l'autre, c'est regarder ensemble dans la même direction.
という言葉を2人で共有できるという想いには変わりはなかった。
今も毎日が楽しくて仕方ない。
学校のテストの点数がとれる頭のいい女性は周りにたくさんいた。でもそれは私が惹かれる教養ある女性とは違った。
また、何となく周囲の顔色をうかがって他人と表面的に付き合うことが得意な女性ではなく自立心があり、自分の思うことがはっきり言える女性に私は惹かれる。
そういう意味で私のパートナーは、、、これ以上は野暮ったくなるので書くのを控えよう。
そもそもなんの話をしても「ド・ゴールはあの時~」や「ミッテラン時代のローラン・ファビウスが~」と政治の話をしてしまう私に彼女は必ず付き合ってくれる。
まぁ彼女のお父さんはフランスのとある町の市長をやられていたのでそういう意味では私の家族ととても似ている。
彼女もまぁフランス人だし政治が好きなのだろう。
来年パリに引っ越す計画を立てているが、少しずつ共に前へ進んでいければと思う。
私たちの船は大海原へ航海を始めた。
私は私たちのこの航海がどうなるか楽しみでしかない。