先日の投稿↓の続きです!!!
2階に上がるとまず見えてくるのがこの部屋↓です。
Chambre de la grand-mère
ここはこの家では南側に位置していて庭に面しているので明るくとてもいい部屋だったみたいです!その名の通り1912年に亡くなったド・ゴールの祖母Juliaが使っていた部屋です。
アルコーブが良いですよね!!!
アルコーブの横にある礼拝用の小部屋↓です。
礼拝は彼女にとって重要だったとのこと。
そして同じ部屋のアルコーブの左側の扉の奥には洗面所がありました。
隣の部屋です!
ここはChambre d'amis と呼ばれる部屋。
実際にこの部屋を若きド・ゴールが使っていたとの事です!!!
次にあったのがLingerie↓です!
この当時のブルジョワ家庭の象徴的な部屋。このすぐ裏に階段(閉鎖されて入れない)があり、ここをド・ゴールの母親は使っていたみたいです。
そして最後はChambre dite nataleです!
ある意味ここがこの生家の重要ポイントかもしれません(*^_^*)
というもの1890年11月22日午前4時頃将来のフランスの英雄シャルル・ド・ゴールが生まれた部屋だからです!!!彼は生まれたと同時にすぐ洗礼を受けています。なのでこの部屋の暖炉の左側にあるクローゼットには彼が洗礼を受けた際に来ていたローブがあるとのことです。
暖炉の上にあったド・ゴール少年の写真↓です。
暖炉のすぐ横にあったちょっと怖いですがド・ゴールのお姉さんが使っていた人形↓です。
【Exposition】
私たちが訪れた際、
Officiers sous toutes les coutures!
という特別展をしていました!
期間は2023年11月22日~2024年5月24日までです!!!
この展示は先日102歳で亡くなったド・ゴールの息子フィリップ・ド・ゴールから送られた歩兵用のサーベルはじめ多くの遺品の展示とド・ゴールが学んだサン・シール陸軍士官学校での訓練の日々などをまとめた展示がされています。
サン・シール陸軍士官学校の制服↓とサーベル。
当時の士官が使っていた物
ド・ゴールが実際に使っていたカバン
彼が書いた本の原書
彼がイギリスに亡命してからフランス国民にレジスタンスを訴えた
1940年6月18日の演説を写したタイプライターとエリザベス・ド・ミリベルの写真。
Elisabeth de Miribel(1915~2005)
フランス第三共和国大統領パトリス・ド・マクマオンの曾孫にあたる。アイルランド系で名前にド(de)が付く通り先祖はルイ15世に伯爵に叙任された貴族の家系。
1939年9月の開戦から翌年の休戦後も徹底してドイツと戦う意思を持っていた彼女はロンドンにいた。その時亡命したド・ゴールの軍令官だった人から呼ばれこの歴史的な演説をタイプし、その後はレジスタンスに身を捧げド・ゴールのレジスタンス運動を陰で支える存在となる。
1階に降りて最後の展示。
士官が使っていたトランク。
以上、フランスの英雄シャルル・ド・ゴール生家についてでした!!!
私のブログで何度か言っているように私は日本人なら河井継之助(中2の時読んだ司馬遼太郎『峠』から興味を持ち彼の文献を読み漁った。長岡と会津塩沢の記念館には何度も行ってます)、外国人ならシャルル・ド・ゴールを部屋に肖像画を飾るほど尊敬しています。
ド・ゴールについては彼の終の棲家となった場所↓には一度行きましたが生家にも行きたい!と思いながらリールは中々遠く行けないでいました(~_~)
でも今回思い切って生家を訪ねることができ、ド・ゴールが生まれ育った場所を見れて感動しました(*^_^*)
ベルギーやロンドンに行かれる際はリールに立ち寄り、生家も一緒に見学することをおススメします!!!